わが社の創業は昭和30年「阿久根衛生社」から始まります。し尿は古くから貴重な有機肥料として農村で利用されて来ました。
市街地で出たし尿を農村地区へ運ぶため、天秤棒の両端に肥料桶を掛け、肩で担いで馬車の四角い肥料樽に汚物を集める作業を父母が暑い日も寒い日も頑張っていた姿を今でもはっきりと覚えております。
初めてバキューム車を購入した昭和35年頃までは「アオ」という名前の馬を休みの日には近くの川べりへ連れて行き、足や胴体を父と洗いに行くのが小学生の私の仕事でした。
戦後の人口増加や水洗トイレの普及など、し尿収集量は増加している一方で、し尿処理場はまだなく、化学肥料の普及による農村部への肥料供給の減少など、し尿の処理については全国的に頭の痛い問題でした。
阿久根市でも一般的に浄化槽が普及しだすのは昭和39年の東京オリンピック前後で、単独浄化槽が主でした。昭和46年にようやくし尿処理施設が北薩地区にも完成しますが、まだまだし尿処理能力は追いついておらず、回収できずに廃棄された汚物は河川や海洋を汚染させ、高度経済成長による生活排水、工業排水は環境汚染へと繋がることとなります。
ホタルのいた川に戻したい、阿久根の海を守りたい。そんな思いで昭和60年「水をきれいに!!」をスローガンに有限会社阿久根清掃社は誕生しました。
以来、公共用水域の水質保全、浄化槽によるし尿及び雑排水の適正な処理を目指し、生活環境の保全及び公衆衛生の向上に向けて務めております。
現在は7名の浄化槽管理士が在中しており定期的な研修によるスキル向上に加え、平成22年には環境にやさしい汚泥濃縮車の導入など、環境へも配慮した組織づくりを心掛けております。
平成12年に浄化槽法が改正され単独浄化槽の新規設置が禁止されるとともに、合併浄化槽への転換が進められて来ました。浄化槽の維持管理・清掃についての技術向上及び環境への配慮は益々求められております。
時は流れ時代は令和になり、浄化槽の性能も飛躍的に進化する中、私たちの業界はSDGsの目標の中の、「安全な水とトイレ」「海の豊かさを守ろう」を目指した企業活動が求められています。管理の技術向上はもとより、山里川海の水の循環をより良い物にするため、これからも精進して参る所存です。
また、近年は地球温暖化の影響と言われていますが、豪雨災害がいつどこで起きてもおかしくない状況です。その様な緊急事態にも、すぐに対処できる体制づくりを構築し、災害時の公衆衛生の確保に寄与できる企業を目指します。
そして、新たな取り組みとして、不動産管理や農業部を立ち上げました。まだまだ手探り状態ではありますが、弊社の業務の一つとして進めております。皆様にお知恵をお借りする事もあるかと思いますが、その際はご理解・ご協力の程、宜しくお願い致します。
安心安全なまちを作るには、きれいで安全な水環境は必須です。阿久根市の下水に係る公衆衛生を責任をもって守り、地域から必要とされる企業として今後も取り組んで参ります。